2004年8月の堂本兄弟を見て

最近、KinKi Kidsに対する思い、スタンスが変わってきたでしょ。トンネル抜けたんでしょ?一皮剥けたんでしょ?悩んだ先に見えてくるものは、地盤がしっかりしていて強いよね。
幼い考えのまま何も考えずにしがみついているのと、それが当たり前と思ってしがみついているのと、そうすることに疑問を感じて、一旦距離を置いて適性・適正を考えた末にしがみつくのは、どう結果が変わってくるのだろう。2と3の違いは、後々大きくなってきそうだ。そして、ファンはそういった彼らの葛藤も理解しなければならないのかもしれない。ファン的素直な態度は嬉しいものだけれど、それを求めるのはエゴなのだろう。ただし、そのエゴをフォローする人も必要で。それを光一さんが買って出ていたのだろうか。芸能人ならファンに答えるのが筋、という考えも念頭にいれなければならないから。色々KinKiについて考え始めたのが2002年くらいからだから、私が今思っているものは短絡的で、過去の経緯をよく見ていないかもしれない。

ところで、KinKiさんにそもそも司会をさせるのは間違えていないだろうか・・・。世の名司会者は、相手の味のある部分を引き出して視聴者を楽しませるのであって、KinKiさんにそれができているとは思えない。それは彼らに能力がないのではなく、引き出すパターンがないから。そして彼らのファンは「彼らが主役」を見たいのだし。面白い場合はKinKi内輪的な場合が多いし、そういう時、面白かった、と思う反面、これ内輪で、ゲスト置いてけぼりじゃん、と視聴者もファンも思ってしまう。これ、すっきりしない。司会をさせるにも、もうちょっとやりようがある。番宣(だけの)番組なんて、勿体無いよ。音楽番組に女優呼んじゃダメでしょ。見学じゃなくてセッションしなきゃ。あくまでも、音楽がやりたいならね。